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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)12号 判決

控訴人

福嶋美代子

右訴訟代理人

大和田忠良

被控訴人

林喬雄

右訴訟代理人

福田隆

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一(清松の死亡とその相続人)

清松が昭和四二年三月一〇日死亡したこと、その相続人が妻アイ、養女里子、長女照子、次女 子、三女控訴人、長男被控訴人、次男清文、四女瑩子、五女孝子であることは当事者間に争いがない。

二(本件贈与の成立)

本件第一ないし第一三の各土地がもと清松の所有であつたが、清松が昭和四一年二月一四日被控訴人に対し、本件第二ないし第七、第九ないし第一二の各土地を贈与し、同年五月一九日その旨の所有権移転登記を経由したことは、当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、本件第八の土地についても、昭和四一年五月一九日に同年二月一四日付贈与を原因とする被控訴人名義の所有権移転登記がされたことが認められるから、反証がない限り、清松は、昭和四一年二月一四日被控訴人に対し、本件第八の土地を贈与したものと推定すべきである。被控訴人は、本件第八の土地は、清松が生前これを他に売却したのであるが、所有権移転登記が未了であつたので、登記簿上、被控訴人が清松から贈与を受けたうえ、これを当該買主に売却したかたちをとつたものであると主張し、〈証拠〉中には、右主張に添うような部分が存し、かつ、〈証拠〉によれば、本件第八の土地につき前記被控訴人名義の登記がされた後、昭和四一年一〇月三一日に、同日付売買を原因とする東京電力株式会社名義の所有権移転登記がされた事実が認められる。しかし、もし清松自身が東京電力株式会社に対し本件第八の土地を売却していたとするならば、被控訴人に対する贈与登記を経由するという迂路をとることなく、清松から直接に同会社名義に所有権移転登記をするのが自然であり、あえて、被控訴人に対する贈与登記をする必要はなかつたものと考えられるから、前記〈証拠〉は採用できず、他に前記推定を左右する反証を見出すことができない。

三(遺留分減殺請求権の消滅時効の成否について)

1  控訴人は、本訴において、清松が被控訴人に対してした本件第二ないし第一二の各土地の贈与(本件贈与)が控訴人及びアイの各遺留分を侵害したとし、控訴人固有の遺留分減殺請求権及びアイから相続した遺留分減殺請求権に基づき被控訴人に対し、右土地のうち本件第二、第四、第六、第七、第一一、第一二の各土地については、控訴人の持分百分の6.43とする持分権移転登記手続を、また、本件第三、第五、第八、第九、第一〇の各土地については、その価額金八八万八五五八円の弁償を請求するものであり、これに対し、被控訴人は、控訴人主張の遺留分減殺請求権は、控訴人が相続の開始及び減殺すべき贈与があつたことを知つた昭和四五年一〇月ころ、もしくは昭和四六年二月ころから一年間の期間が経過することにより、時効により消滅したと主張するので(抗弁3)、控訴人主張の請求原因事実についての判断を前叙の程度に止め、控訴人主張の遺留分減殺請求権が発生したと仮定したうえ、右請求権の消滅時効の成否につき判断を進めることとする。

2  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件第一ないし第一三の各土地の大部分は、清松が自作農創設特別措置法第四一条により政府から売渡を受けてその所有権を取得したものであり、同人は、これらの土地を基盤にして農業を営み、子女を養育してきた。

(二)  控訴人は、昭和三二年ころ、両親のもとを離れて上京し、昭和三四年一二月七日、運送業を営む福嶋博一と婚姻し、以後東京都内数ケ所に移り住み、現在に至つている。

(三)  控訴人は、清松の在命中、しばしば清松から金銭を借り受けながら、これを返済せず、また、清松夫婦の老後の面倒は控訴人がみるから、土地を売却して金を作つてくれるよう要求して断わられるなど金銭上の紛議が重なり、次第に両親その他の親族の者らと疎遠になり、遂に交信を絶つようになつた。このため、昭和四二年三月一〇日清松が、次いで昭和四四年八月一七日アイが死亡したときも、被控訴人その他の者が控訴人にこのことを通知することができなかつた。

(四)  昭和四五年中たまたま俔子が控訴人の肩書住所を知るに至つたことから、同年一〇月ころ、瑩子、孝子両名が控訴人方を訪れたが、その際の会話の中で、瑩子が控訴人に対し、両親の死亡したこと及び清松の財産は全部清松から被控訴人に対して贈与され、相続すべき財産はない旨を告げた(瑩子及び孝子は、すでに清松の葬儀の時、照子の夫三古谷正男から本件贈与の事実を知らされた。)。

(五)  控訴人は、昭和四六年八月御盆の時期に、林里子とともに墓参に戻つたが、そのとき、被控訴人その他の者から「控訴人に分ける土地はない。」といわれた。

(六)  昭和四八年六月二一日、控訴人の夫博一は、弁護士大和田忠良(本件控訴代理人)とともに、本件第一ないし第一三の各土地の登記簿謄本をとつて、本件贈与に伴う所有権移転登記がされた事実を確認し、控訴人もそのころ右登記の事実を知つた。

このように認められる。

3 ところで、遺留分減殺請求権の消滅時効を規定する民法第一〇四二条にいう減殺すべき贈与があつたことを知つた時とは、単に被相続人の財産の贈与があつたことを知るのみならず、その贈与が減殺すべきものであることを知つた時を指し、したがつて、遺留分減殺請求権の消滅時効が進行するためには、遺留分権利者において右贈与が遺留分を侵害するものであるとの認識を有したことを必要とするが、右認識は、(イ)被相続人の財産のうち相続人のために残さなければならないなんらかの割合額(すなわち、遺留分)があること、及び(ロ)当該贈与の効力がそのまま維持されると、右割合額による遺留分権利者の利益がなんらかの範囲で損われるということについてのそれであることを要し、かつこれをもつて足りるのであつて、遺留分の精密な算定や遺留分侵害の正確な割合、したがつて減殺を請求しうる範囲などについて具体的な認識がなくても、消滅時効の進行が開始することの妨げとならないものと解するのが相当である。けだし、遺留分減殺請求権の行使は、必ずしも減殺の対象及びその範囲を具体的に特定してしなければならないわけではないから、前記程度の認識を有する限り遺留分権利者においてこれを行使することが可能であり、また訴訟上請求する場合には請求の範囲を具体的に特定する必要があるとしても、法所定の一年の期間はそのために要する調査期間として不当に短期ということはできず、また訴訟提起後にこれを修正する余地もあるのであるから、上記のような解釈をとつても、遺留分権利者に対して不当に不利益を課するものとはいえないからである。

4  これを本件についてみるのに、控訴人が清松の財産についてかねて相当な関心を有していたことは前記2で認定したとおりであり、〈証拠〉によつても、清松死亡後における遺産の帰すうについても関心を抱いていたことが窺われ、また清松死亡に伴う自己の相続権の存在はもちろん、清松が生前所有していた財産につき相続人の一人として自分に残されなければならないなんらかの割合額(遺留分)があることについてもいちおうの知識を有していたものと推定されるところ〈中略〉、前記2で認定したとおり、控訴人は昭和四五年一〇月ころ、瑩子から清松がその財産全部を被控訴人に贈与したことを聞かされ、さらに昭和四六年八月ごろにも被控訴人らから同趣旨のことを告げられたのであるから、他に反対の事情が認められない本件においては、控訴人は、これにより、本件贈与を含む清松所有財産の被控訴人への贈与(それは清松の財産全部に亘るものではないが、その八三パーセントに該当する財産を譲渡するものであつた。)がなんらかの範囲で自己及びアイの遺留分を侵害するものであることを認識するに至つたものと推認するのが相当である。

5  以上によれば、控訴人は昭和四五年一〇月ころ、おそくとも昭和四六年八月頃には相続の開始及び減殺すべき贈与があつたことを知つたものと認められ、したがつて、控訴人の遺留分減殺請求権は、控訴人が被控訴人に対し遺留分減殺請求の意思表示をした昭和四八年一二月二四日以前に、一年の期間の経過により、時効によつて消滅したものというべく、また、控訴人が一部相続したと主張するアイの遺留分減殺請求権も、おそくとも右時期までには時効により消滅したものといわなければならない。

四(結論)

以上の次第であるから、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は、爾余の点につき審究するまでもなく、失当として棄却すべきであり、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法条九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(中村治朗 蕪山厳 高木積夫)

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